2010年6月1日火曜日

資格を何故とりたいか?

小学生くらいの子が「まわりの子の誰も持っていない資格をとりたい」と、大人が受けるような資格試験に合格したと云う話を聞いた。


子供が何か出来る様になりたいと感じる理由は何だろうか。
親や先生に褒められたいとか友達に自慢したいとかを除くと、純粋に出来るようになると楽しいからではないかと思う。


プロセスを重視する

同級生の誰も持っていない資格を取りたいと云うのは、その資格をとるプロセスで技能や知識を得ることを楽しむのでは無い。褒めらるとか、自慢出来ることを目的としている。それは子供らしい純粋さが無いように思う。
(もちろん、子供ながらに、大人がとる様な資格を取得すれば感心するし、もし知り合いならば褒めもする)


資格自体は、何の為に有るかと考える。
免許であるとか、色々とあると思う。
取得する側の立場で見た場合は、一つに、取得するプロセスにおいて技能・知識を得ることに有ると思う。
それを根底に考えれば、資格をとってからがスタートラインである。
また資格を持たなくとも同等以上の技能・知識があれば充分で有ると思う。


客観視する

自分が接している人たちは、資格に対する姿勢が極端な人が多い。
資格を軽視し一向に勉強をしない人、一方で、実務をおろそかにしても資格取得に向かう人。
前者は実務を重視しているためか、比較的その場その場で優秀さを発揮する場合が多い。
だが歳を経ると、仕事の内容についてゆけなくなったり、技術者から管理職といった方向転換が上手く出来なかったりする例を見た。
後者の場合は、転職には多少有利にはたらくかも知れないが、実務をおろそかにするならば、それだけだ。


勉強をしないで自分の技能や知識が水準以上であると思い込んでいる人は、資格の勉強をして自分を客観視して欲しい。
資格取得を目的としている人には、資格を取る事の本質を考えて欲しい。実務をおろそかにするのはもったいない事である。


合格しなくとも良い

本質をみれば、業務をおろそかにして、次から次へと資格を取る人はその意味のなさを感じるだろう。
褒められたいから、自慢したいから、だから資格を取ると云うのは、資格で得られるものの価値を落とす様に思える。


つまるところ、資格の勉強は必要だが、必ずしも取得する必要は無い。合格するつもりで勉強をすれば事が足りると云える。


という、資格が中々とれない言い訳のようなことを考えてみた。


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