2010年5月17日月曜日

3歳までの教育方針

子供を教育するにあたって考えていた事がある。

叩いて叱らない

3歳までは叩いて叱ったりしないように心がけている。
だが、人に極端に迷惑がかかる様な時に、我がままされるとつい手を上げてしまうが。


叩かないという点は、例えば保育園の先生は、(まともな保育士であれば)叩いて叱ったりしないそうだ。
それでいて子供たちは先生の云う事を素直にきいている。
つまり言う事をきかせるのに叩く必要は必ずしもあるのではない。


とはいえ、昔の人は小難しく教育方針など考えず、悪いことをしたらすぐひっぱたいていたようにも思える。それでも立派な人に育つときは育つのだから、叩いても良い場合もあるとは思う。感情的に叩いたりしなければ良いのだろう。


どこで仕入れた知識かも忘れたが、3歳までにあまり叱ってばかりいると自立を促せないとう話を聞いた記憶がある。
よく聞くのは、愛情を注ぐという事。それが確りと出来ていれば叩かなくとも叩いても大丈夫なのだろう。


我慢を覚えさせる

うちの子は一人っ子だ。この先、弟か妹が出来るかは分からない。
過去に見てきた一人っ子・末っ子には特有の我がままさが有った様に思う。
極端に我がままで幼いままの人格だと、先々人間関係に支障を来して苦労する。避けたいところだ。


子供は概して我がままであるとは思う。
ただ兄弟がいれば兄弟にたしなめられる(兄弟の我がままが優先になる)。それで我慢を覚える。


忍耐力は何事に置いても重要な要素だ。無理のない範囲で我慢をさせて、忍耐力をつけさせたい。


例えば、お菓子が欲しいとか、玩具が欲しいとか、望んだらすぐ与える様な事はしない。


望みは叶うと思わせる

ローマ人の物語〈8〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(上) (新潮文庫)で感心した点で、(カエサルの様な人間になって欲しいとまでは思わないが)心がけておこうと思った事がある。


男にとって最初に自負心をもたらせてくれるのは、母親が彼に注ぐ愛情である。幼時に母の愛情に恵まれて育てば、人は自然に、自身に裏打ちされたバランス感覚も会得する。そして、過去に捕われずに未来に眼を向ける積極性も、知らず知らずのうちに身につけてくる。

うちの嫁はアウレリアほどの人であるわけないので、ここは「母親」を「両親」と読み替える。両親で、愛情を注ぐ事を心がけていて悪いはずはない。


「望みは叶うと思わせる」というのは、我がままを受け入れて思わせるのではない。強く望んで、必要ならば自ら行動し、時には忍耐すれば、望みは叶うと思わせる。こうしたことの繰り返しが自信につながると思う。


ちょっとした事で会社を辞めてしまう新人を見てきた。自信も無く忍耐力も無いと感じた。仕事に対して自信が無いのは新人なので当然だ。ただ何れ出来るようになるという自信と、その何れまで耐える力が無かったのだと感じた。


今のうち、愛情を注ぐのが鍵であれば、出来る限りしたいと思う。


教育手法

完全に取入れようとも、出来るとも思わないがシュタイナー教育は参考までに知っておこうと思う。



テレビを見せないというのは、解らなくないが、絵本も駄目というのは、良くわからない。のびのびとした教育方針と思っていたが、子供は自由でも親は大変という事か。ただフォルメンというのは面白く感じた。

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