2010年8月5日木曜日

アポロドロスのやりかた

「ヴィンチのレオナルド」と「ダマスカスのアポロドロス」は、才能の性質がちがう。
アポロドロスの才能は彼に一任された課題を解決するのに投入されたが、レオナルドの関心は、課題を律する基本原理の探求のほうに投入される。
アポロドロスを建築家ないし建築技師と呼ぶのにためらいはないが、レオナルドはどう読んでよいのかわからない。

ローマ人の物語〈24〉賢帝の世紀〈上〉 (新潮文庫)より


こんな文を引用してみたのは、自分がデザインした新システムの画面設計のユーザレビューでの事から。
優しい人たちしかいなかったので、皮肉を言われたりはしなかったが、がっかりされたのは良くわかった。


ユーザ側から提示されたデザインは作る上で無理があり、踏襲して自分がデザインし直した。
そしてとりあえず意見を聞こうと見てもらったのだが、もっと良いものを期待していた様だ。


与えられた課題の解決を、ユーザ側の意に添う様に行ったつもりだ。
だが、感心されるほどのデザインにするには、意を汲みながらも完全に作り直す、そんなデザインが必要だったのだろう。


検討には値してもらえ、多分提示したもので話は進むとは思う。
だが、少し悲しげな反応をされたのが気にかかった。


アポロドロスよりもレオナルドのやり方を踏襲すべきだったのだろう。もちろん自分の才能が乏しいのは置いての話だが。


依頼された仕事で、人が喜ぶデザインというのは難しい。
自分の発案の仕事ならばもっと自由に出来、多少ましなものに出来たかもしれないが。


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